独りであるところのワタクシは一体なんなのか

「独り」とは、性質である。
多くは他の存在から隔絶された場合に顕著化する現象もしくは感情(孤独)であるが、それ自体は状況を表すものではない。
つまり「一人」であるということと「独り」であるということは、当然のことであるが大きな差を持つ。現実界の現象として観察される場合は、両者は互いに近似、もしくは共有点を持ったものであると認識されやすいが、それは帰結的に両者が結びつくだけで、状況(一人)を人間の精神的な内面の現象(独り)に直結させるのは浅はかであると思ったり。
「雑踏の中にいてこそ余計に孤独を感じる」ということは俺をはじめとする非社会適応的な方々が折々主張することだけれど、まあこれは実際街に出てみると自己と彼我との隔たりに絶望して感じる極めて真っ当な「孤独」であると思うのですが、俺が言いたいのはそんな健全健康平凡な意見ではなく、論理的な整合性の確認を放棄した酒の上での戯言、酔いどれ小坊主の愚痴なのであって。やりたいことは孤独であることの解説ではなく立派なヒッキーに育ってしまったボクチャンワタクシオレサマが孤独ゆえに生じる自己嫌悪及び自己融解性に対する言い訳としての、精神的な状況であるところの孤独についての分析なのですがそもそも何て読みにくい文章なんだと絶望して首かっ切りたくなってきたので続きはまた今度。