就職活動が嫌いなワケ

先日の如くどうしようもないぐらい人生スポルトして「もしかしたら親にとってはこの上なくうざいパラサイトダメ息子コース直行かしらん」と日本の未来にとってこの上なく有害な自分の姿を思い描いてひとりほくそ笑んでいたのですが。
どういうわけだか試験を受けたまま忘れていた某信金から連絡がありまして。
面接に来いと。
正直、実家から金沢に帰ってきたばかりなのに、またすぐ実家にとんぼ返りさせる信金が憎い。バス代だって安かねぇんだよわかってる?とつい電話向こうのお姉ちゃんに絡みそうになりながら名古屋行きのバスを予約したりしたわけですが(←弱い人間)。
ところで、就職活動というやつは、こと俺は苦手だ。何せ人前で自分の長所とかアピールしなければならん。集団面接などやった日には集まってくる奴等皆が皆、自分についての自慢話だ。部活動でバイトで勉学でどれほど自分が優秀かを競うように自慢し合い、人の間に立てば極めて社交的、リーダーシップを取り場をうまくまとめ率先して物事に当たり、志は高く。
いったい、お前ら何人だ。何星人だ。
こんな自称完璧超人どもがひとつの部屋に詰め込まれているだけで気分が悪くなってくるし、その中に自分がいるなら尚更だ。そんな素晴らしい才能が集っているなら、お願いだから地方金融機関などでなく大きなメーカーなり銀行なりで日本を立て直すべくがんばってもらいたいものだが、どうも近頃の若人は数々のアピールポイントとともに大企業に入らない謙虚さも持ち合わせているようだ。そんなに謙虚なら自慢話はやめてほしいものだ。
つまるところ、俺が就職活動を嫌うのは、この社会への出口となる人生の一大イベントが、その構造ゆえにどうしようもないほどの欺瞞に満ち溢れてしまうということに起因する。本屋に行けば毎年就職関連の書籍が、――内容はそのまんまに、2004だ2005だと表紙の数字だけを変えて――版を新しくして並んでいる。就職内定術、エントリーシートの書き方、SPI、一般教養etcetc...これら書籍の唱える呪縛が就職活動中の学生を冒し、結果表面上全く同様の指向性を持った若者を大量生産するのだ。作られた彼らは前記の通りとてつもなく優秀で協調性があるいい子ちゃんなのである。しかしこのいい子ちゃんだらけの集団から抜け出して内定を貰えるのは、いい子ちゃんの演出を巧くこなした奴だけなのだ。内定獲得マニュアルの要求する行動についていけない輩から振り落とされることになる、表面取り繕いレースの結果でエリート、平、クズとレッテルを貼られ社会に放り出されることになる、この構造がどうしようもなく気にいらねぇ。
といってこの構造に叛旗を翻していると自動的に非社会的人間(就職意欲のない人間)となって、将来に渡っての収入の不安に苛まされるどころか、そもそも参加する社会活動の場すら著しく制限されることになるのだ。
閑話休題
そんなわけで就職活動に対する疑問から、就職するのやめる、というアイディアがどうしようもなく素晴らしいものに思えてきていたところに面接の連絡があったので、普通なら大喜びして臨むところなのだが正直にいうとやる気はなかった。うん。この時点で間違いようのないダメ人間への道を歩んでいることは確かなのだが、とにもかくにも日程がかなり急だったのでスケジュールを何とかやりくりして受けに入ったところ、
10分で終わった。
すげー。このやる気のなさ、かなりいいよ。
俺が手間暇かけて面接受けにきてみれば、実際の時間は家から会場まで電車に乗っている時間よりも、会場でひたすら問答を想定しながら待っていた時間よりもはるかに短い。しかも自己PRの場なんて全然なかった。バイトがどうだサークルがどうだとかも聞かれなかった。世間話っぽく始まって勉強内容と将来取りたい資格のことについてで終わってしまった。もしかしたら、面談の中で会話の方向性をコントロール(して自分をPR)する技術を見ていたのかもしれない。そうだとするととてもいい会社だ。仮にその仮定が正しいとすると自分自身にとっては満足のいく面接ではなかったが、会社自体は気に入った。とても入りたくさせてくれる会社だった。