卯辰野森ノ山奥デ

お日様がとっても煌めいて、お空があんまり高いので、雲もわくわく浮いていて全く自由に形が変わっていくのでした。そうしてあんまり世界が歓んで見えるのに、私は逆に陰鬱な気持ちがぷっかりぷっかり底から湧いて来るのでした。
そうするともうどうにも人間といるのが嫌になってしまったのでお日様の潜ろうとしている森の中に私も一緒に連れて行って欲しくなってしまいます。
 
「おうい、お日様、そっちへ行っていいかぁ」
 
お日様はぺかりぺかりと輝きながら沈んでいくので私は居ても立ってもいられずに走り出します。
キッシキッシカックンドーン、キッシキッシデッコダーン
小さな二輪車がふうふう言いながら私を乗せて西へ西へと走っていきます。あんまりがんばるものですから、いつの間にやら屋敷も人間も車もなくなってしまって、時折木々の隙間からちらりちらりと空の下の方でありんこのように動き回る車や人間が見えるのでした。
 
「お日様はまだ遠い、お日様はまだ高い」
 
私が歌うので二輪車はエエイドドーン、エエイググーンと力を張るのです。びゅおんびゅおんと飛んでいく私たち2人を、風や鳥や花や虫が一斉に冷やかして歌いました。
 
「小さな二輪車お日様はぐんぐん遠い、のろまな二輪車お日様はずんずん高い」
 
あんまり頭に来た二輪車は、もうぐおんぐおん泣きながら一生懸命走るのでした。木々をぎゅんぎゅんすっ飛ばし、ぜっはぜっはと息を吐きながら風にも追いつくほどに懸命に飛ぶのでした。それでもこんなにもお日様が遠いので、とうとう真っ赤になってくるくる回るとガソリンをぽろぽろ溢しながら倒れてしまいました。
 
「おまえは全く無茶をするので休んでいなさい」
 
私はこの小さな二輪車が哀れになってしまったので雲に頼んでその影の下に休ませてやりました。二輪車はもくもく動く影の中でいかにも湯気をたてて停止したのでした。そうすると二輪車はウンとも云わぬ鉄の塊なのです。風に囁かれてもきっかり動かずにいるので、私は安心して花畑への階段を降りていくのでした。
そこは、卯辰野森の山々に囲まれてストンと落ちて窪地が出来ているのが、その斜面に花が集っているのでした。けれども夏が深くなってきているのでほとんどが緑の葉をばっさばっさ揺らせているだけなのです。
 
「なんて情けない花たちなんだい。香りぐらいさせてみろ」
 
私が云うと花は押し黙ってざわりざわりと揺れているだけなのでした。
 
「このいくじなしどもめ」
 
更に花に怒鳴りつけてやろうと思いましたが、私はその場所がひどく気に入ったので許してやることにしました。何せ、山の斜面の中腹からは、高い空もお日様もぽっかり見上げられるし、生意気な森も眼下なのです。空にはひらりひらりとツバメが舞っているし、季節外れにも鶯が歌っているし、更には蜩も鶯の唄にあわせて合唱しているのです。こんなに愉快なことは久しぶりです。
私はぽっかり呆けて居る長椅子に座ると、宮沢賢治先生の物語を取り出して開きました。そうすると、イーハトーヴォの海や空や土がぐんぐん飛び出してきて私はまるで自分が銀河の遠くの星になって燃えているような気持ちを覚えるのです。しんと凍った宇宙を私の星の光が駆けていって地球の日本の金沢とイーハトーヴォの交じり合ったような卯辰野森の山奥の中の花畑の上でぺかりぺかりと輝くと、空は一層明るくなって雲がぐんぐん湧いて来るのでした。
私がすっかり面白くなってぺかりぺかりやっていると、物語の上に大きな影が降ってきました。一瞬のことですぐに消えてしまいましたが、私はびっくりして空を見上げますとぐるりと首を回して影の持ち主を探そうとするのですがどこにもいないのです。
 
「おうい、お日様、今影を作ったかい」
 
私がお日様に尋ねましても、お日様は相変わらずカンカンに透き通って光を投げてくるのでした。
首を傾げながらも物語を覗き込もうとすると、やっぱり、影が降ってくるのです。ぎょろぎょろと真っ青な空を探していると、そこここに蜻蛉が隠れるようにして飛んでいます。そしてお日様に近づこうとすると不思議に大きな影を作っているのでした。
 
「ははん、おまえたちの悪戯だったのかい。不思議な影もあるものだな」
 
私が安心して物語に戻ろうとすると、途端に、本当に大きな影がびゅーんと飛んで行きました。はっと顔を上げると、ゆったりと翼を開いている大きな大きな鳶がもう向こうの山の方に居るのです。私は胸がドキドキして見ていると、鳶は大きな翼をゆっくりたたみ始めたかと思うとまるで鋭い矢の勢いで森へ降下するのでした。
私はもう、何か動物の命を奪うのかしらんと思うと心の底が何ともカーッと熱くなる様な心持になってしまって見ておりますと、森の中からも一羽大きな鳶が出てくると、二羽でお互い喧嘩しているようにも、また洒落合っているようにも飛んで山の向こうへと去っていくのでした。
私はもう、いつまでも胸が鳴っているので空を見上げていると、ゴウンゴウンと空を鳴らしながら、ずっとずっと高い所に、小指の先よりも小さく飛行機が飛んでいくのが見えました。飛行機はこんなにも小さい小さい白い影だのに、羽から雲をもくもくと綺麗に一直線に吐き出して止まないのです。音だって、蜩を黙らせてしまうほどに立派なのです。
そうしていつまでもいつまでも空を見上げていると、いよいよお日様が降りてきて、山の更にまた西に沈もうとしているのでした。私はもう、すっかり愉快な気分になっていたのでお日様を追いかける気分はもうからになっていましから、二輪車を起こして帰ろうとしますと、お日様の山に沈む影に乗ってふんわり甘い香りがするのでした。見渡しますと花がさらりさらりと揺れているのでした。
 
「ああ、ほんたうにいい匂いだ。大したものだぜ」
 
風がふわりさらりと揺れる中、小さな二輪車は勇んで飛び始めるのでした。
蜩はいつまでもかなかなと鳴いていました。