俺ト葡萄酒

学生なのだから勉強するのが俺の仕事なのだが、一ヶ月に一回の調査発表の日を間違えて行かなかったり研究室の仲間が産休で休学だとかいう噂がまことしやかに流れたりとどうも俺の心は錆びた鉄のように勉強に対する情熱が軋んだりしている。その代わりに酒を飲んで日々ぐだぐだ過ごしているわけだ。
そうして過ごしているうちに一年以上ちびりちびりと気長に付き合ってきたヰスキーが急速に量を減らし、ついには空になってしまったので困った。飲んだ暮れるにはアルコォルが無ければ話にはならぬ。アルコォルが摂取できなければこの日記を記すことも出来ぬ。というわけでついぞ先日誓った、「今年度中は嗜好品を購入しない」という己に対する信念の約束をいとも簡単に破り去って買ったわけだ。アルコォル飲料を。
折りしも時は11月20日。そこらの小売店に行けばどこでもボジョレーヌーボーボジョレーヌーボーと姦しく喧伝すること、日本人はいつから国民挙げてのワイン愛飲家になったのかと宣伝担当者を殴り殺したい衝動に駆られること甚だしい勢いである、とだけ言っておこう。
そんな不自然、ふしだら、不愉快な状況に置いて俺の所蔵するヰスキーが切れたということはとても不幸なことであるといえよう。折りしも今年度は猛暑が欧州各国を襲い、事にワイン産地の代名詞と言えるフランスでは酷暑のあまりに高齢者の方々の命の尽きること甚だしく、その陰にてワイン業者はにっこりと微笑んで一言、「今年のワインは100年に一度あるかないかという出来でございます」。
そんな、弱き者命捨てよ、ワイン旨しの心意気を持つ粋なロクデナシ人殺しなワインが俺の前に積まれていたということについて、それをアルコォルがまったき偶然にも切れて切実にもアルコォル飲料を欲していた俺が購入したということについて、誰が俺を責めることが出来るか?
100年に一度の出来、最も新しい大地芳醇の味とか、そんなものはどうでもよろしい。一体、この葡萄酒は、人にはまったく耐えがたき猛熱の殺し屋と兄弟でありながら澄ました顔をして整然とこの俺の目の前の、ちっぽけな極東の小国の小売店の棚に並んでいる。これほどにファンタジイな、罪深き運命の生み出した成果を飲まずに居れようか。
 
この冷たく澄ました殺し屋の双子を嬉々として口に含んだ俺は、ただ自分がそもそも葡萄酒が嫌いであったことを思い出さずにはいられなかったのである。
 
 
「2000円で葡萄酒よりもヰスキーを買うが賢明ではなかったのだろうか」
 
 
それでも今宵にてこの澄まし屋のすっかり腹に収まってしまうのは人の血の赤さを加味した由縁であろうかと思いつつ、次なるアルコォルを買うべきか買わざるべきか、酩酊のうちにも懊悩せざるを得なきはただ貧しさゆえであろうか。