夜ニ溶ケル

店を出ると生温い風が強さを増して、四方八方定まることなく吹き付けてきた。
不気味に感じながらもバイクに跨って緩やかな坂道を上りはじめた。それまで好き勝手に暴れていた風が、いっせいに進行の邪魔をするようにライトの届かぬ闇からオレ目掛けて吹き始めた。
どこまでも人肌のように温い風に居心地の悪さを感じる。何か得たいの知れぬ生き物が体に纏わり憑いているような感覚を覚えた刹那、云い様のない恐怖が込み上げて来た。
坂の向こう、これからオレが上ろうとしている緩やかな曲がり角を車が降りてきた。いつもなら横暴なまでに眩しい対向車の照明が、今夜に限って極控えめに、地味に道、そしてオレを照らし、通り過ぎていった。その光条は今にも闇に溶けてしまいそうな弱々しいものだった。道端に突っ立っている照明灯は自分の僅か周りをささやかに照らしているだけで、夜の色を一層濃くしていた。いつもならもっと明るい筈の空までも、全ての光を吸い込んでいる。
空も、地面も、行く手に広がる山の影も、全て合一の闇に溶けていた。自分の皮膚の、ほんの先から全ての夜が繋がっている。全てが夜になって、空気と物質と概念と、全部混ぜ合わさって溶けている。今、オレは夜に囲まれている。
泣きそうになるくらいの恐怖だった。オレは本当の意味での夜の中に取り残されていて、それは今まで味わったこともないような、背筋の底から這い上がってくる感情だ。まるで何だか判らないままに、気付けば自分の下から半分が夜に飲み込まれている。下を向いてはいけない。横を向いてもいけない。何も見ず、ただまっすぐひたすら家への道を急がなければならない。さもなければ心の中まで夜に飲み込まれ沈んでしまう。
走れ、走れ。ひたすら走れ。目に見えないケモノが今日という夜の中に充満していて、オレはその中を掻き分けている。光がケモノの中を通るとゆっくりすり減っていって最後にはちっぽけな塊になって夜の底に転がることになる。夜の中で少しずつ少しずつ形も意味も失って光ではなくなってしまう。もちろん、オレも。
だから走れ、山の真っ黒い影の中腹我が家目指して。
夜に溶けてしまう前に。
 
(2743時)