すしくいねぇ

佐々木倫子の「HEAVEN?」や甲斐谷忍の「ソムリエ」を読んでいたら食欲がムラムラ湧きあがって来る。性欲なら代用品*1で我慢できるが、贅沢感溢れる食欲はなかなか代用品がない。下手に安いもので代用すると逆に欲求が高まりかねない。
丁度悪友榊さんに押し付けられたいかにもやっすい白ワインがあったので、うまい肴でもって一杯やることにした。
金沢でうまい肴を手に入れようと思うなら、当然思いつくのは近江町市場だ。庶民の台所と呼ばれるだけあってこのご時世に200軒近くの店が並ぶ商店街である。とりわけ日本海の幸を扱う鮮魚店が多く、白ワインにあう肴を手に入れるとすればここ以外には考えられない。
店で作られて店頭に並ぶ甘エビの塩辛などもう最高だ。世界が滅んでも一杯やりたい。
と久しぶりに足を向けてみたら、ああ、何ということだ。既に大半の店が閉まっているではないか。いくら店仕舞いが早いとはいえ、18時を過ぎたくらいでこうも過疎になるのは如何なものか。大手スーパーに対抗して営業時間を延長するなりの企業努力をしてくれてもいいんだよ?それより、この甘エビの塩辛食べたい病はどうしたらいいのだ。
一度火のついた贅沢食欲はそうそう簡単には鎮まらない。というわけで「廻る近江町市場寿し」にて寿司など頂くことに。
しかし、ひとりで寿司屋に入るなど初めてのことである。働くのが大嫌いな性分なためろくすっぽ金も持っていない。そのため金沢には数多く鮨屋があるが、とてもじゃないが暖簾をくぐることは出来ない。せいぜいがラーメン屋や学生向けの洋食屋で700円の贅沢を楽しむくらいである。それでも回転寿司ぐらいなら大丈夫だろうと入ってみると回っていない。
マテマテ。回せよ。
廻る、って店名に書いてあるし。ベルトコンベアもぐるぐる回ってるし。なのに何故お前らは寿司を回そうとはせんのだ。天邪鬼にも程がある。あんたはオレの師匠ですか。
突如立ちはだかった回らない回転寿司の壁の前に我輩大ピンチである。回っているなら誰にも気兼ね無しに安いネタを攻めることができる。のんびりと自分のペースで獲物を狙い定めては喰いということができる。しかし回らない。全てご注文だ。その度にいちいち板前さんが「ヘイカンピョウ巻き!」とか云いながら握ってくれちゃうのだ。とてもじゃないが納豆巻きが食べたいとか玉子が欲しいとか云えない。最低価格(120円)のネタばかり頼めない。
などと懊悩している間にも板前さんがちらりちらりとアイコンタクトで注文を促すのでつい真鯛と甘海老など頼んでしまった。しかもこの甘海老、ただの甘海老ではない。でかくて身がプリプリ、とろけるような甘さを持つ生甘海老である一皿380円也。真鯛300円。いきなり普段の食事予算を消化完了である。たった4カンの寿司で。しかも真鯛の味などよくわからんし。
しかしたった2皿頼んだだけで店を出るということは出来ない。そもそも今日は贅沢食欲を満たすために来たのだから、多少の予算オーバーは気にしてはいけない。生下足(190円)とうなぎ(240円)を注文。うなぎは土用にはちと遅れたが縁起物ということで。しかしよく考えればこれは多分三河一色産のものだからわざわざ金沢で食べるなくても実家へ帰ってバイクを走らせればよかったのではないか。三河一色も浜松も行けない距離ではないのだから。生下足が190円のくせに実にうまい。甘みと程よい弾力性が実に烏賊烏賊しい。
 
隣ではツーリストと思しき白人(たぶん)が入ってきてまずビールを頼んでいる。「アサヒ……」いきなりメーカー指定だ。素晴らしい*2。メニューを出してもらい、板前さんに指差しで注文している。なるほど、寿司のような商品を注文するにはこれが一番手っ取り早いだろう。店としても外国人向けのメニューを持っているのはそれなりに外国人観光客も来るのかもしれない。兼六園界隈では時折外国人ツーリストも見かける。丸谷才一が「日本の町」(単行本は1987年出版)で「金沢の文化は、(京都のような)観光者のための文化ではない。住民が自分で消費するための文化である」ということを言っているが、15年も経てばその状況も変わってしまったのかもしれない。要研究。
更に見ていると、寿司が運ばれてくる。上手に箸を使って醤油をどっぷりシャリに浸けている
やばい。
見事にそのまんま醤油皿の上に置いてる。持ち上げるとシャリが醤油を吸って嫌な色になってる。
やばすぎる。
外人さんなのだから当たり前なのだろうけど。こう明らかに間違っている食べ方をされると気になる。寿司はそうじゃないんだ。そんな食い方をするんじゃない!と叫びたいくらい。
つい、Hey,when you eating SUSHI,don't drop rice in soysauceと声を掛けようかと思ったが、そもそも寿司屋で他の客の食べ方に文句をつけることはよっぽどマナー違反である。他人がどんな食べ方をしていようがただの客が注意をするというのは出過ぎたことであるし、外人さんに教えるにしてもやはり店の方が為すべきであると考えそのまま黙って観察を続けることに。英語力に自信ないし。
 
お隣さんを観察しつつも自分も寿司を食っているわけだが、やはり回っていない寿司というのはプレッシャーを感じる。もともと胃袋の容量は小さい方なので4皿でもいけないことはない。今ならまだダメージも一漱石とちょっとで済む。かといって、せっかく寿司屋に入ったのにマグロも食わずに出るということはできない。しかし生マグロ一皿300円はなかなかでかい。食パンが2斤買える値段だ。しかしそもそも今日は贅沢に飯を食いに来た筈で……
 
ああ、飯が全然楽しくない。
 
激しい貧乏性を持つトヤマには、寿司屋という店はあまりにも値段がちらつきすぎて食事が楽しめない。贅沢をしようと思っても本能的に体が、心が、節制を求めているのだ。こんなことなら特上海鮮どんぶり1600円でも頼めば最初から美味しくいただけたのだ。あとからあとから追加するタイプの商品である寿司は、絶えず「頼むか、頼まないか」の選択を要求される。必然的に常に金勘定に心を割くことになり、消耗が激しくなってしまう。1000円なら1000円、2000円なら2000円と最初から予算を決めていけばこんなに苦しむこともなかったのに……。
結局生マグロとかにみそを取って戦いは終了。総計1710円。お寿司、おいしゅうございました。そして疲れました。
今後寿司屋に入る時はなるたけちゃんと回っている店を選ぼうと決意。
 

*1:いわゆるライトハンド

*2:もしも我輩がイギリスに行ったとしてパブに入ってビールを飲もうとすれば「ギネス」というだろうから、これで正しいのだろう。案外アサヒビール知名度は外国で高いのかもしれない